事例詳細

調査・質問内容

質問番号 0099500179
状態 受付済
質問日 2022/03/16

五右衛門風呂について,石川五右衛門が息子を持ち上げながら釜ゆでの刑に処せられたという話があるが,本当の話を知りたい。
※本当かどうかの判断はできないので,資料の紹介になる旨了承済み。

図書館からの回答

回答状態 公開済み
公開日 2023/03/30
関連質問番号

石川五右衛門が息子を持ち上げながら釜ゆでの刑に処せられたという話について,事実であると確認できる資料を見つけることはできなかった。
釜茹(釜煎)の刑に処された盗賊がいたという記録はあるようだが,その他の詳細な記録では見つかっておらず,具体的なエピソードなどはのちに歌舞伎や浄瑠璃の脚本によるもののようである。

五右衛門風呂について
【資料1】 p.1014 ごえもんぶろ【五右衛門風呂】(石川五右衛門が釜ゆでの刑に処せられた時に用いたという俗説に基づく) とあり。

【資料2】 p.39 図1-9五右衛門風呂「文禄四年(1595),大盗石川五右衛門が手下と共に捕えられ,彼と彼の子供は諸人への見せしめとして残酷な釜ゆでの刑に処せられたという説話にもとづく名の据え置き風呂である。」

石川五右衛門についての記録に関する資料
【資料3】 p.182 『日本王国記』は1594年から日本に滞在していたアビラ・ヒロンというスペイン人による記録。
p.226-227に1595年に都の盗賊の頭目が生きたまま油で煮られ,家族も磔に処せられたという記述がある。ここに石川五右衛門の名前はない。
この本の写本のひとつに,1590年から日本に滞在していた,ペドロ・モレホンによる多数の注釈が書かれたものがある。その注釈で「これは94年の夏である。油で煮られたのは,ほかでもなく,石川五右衛門Ixicavagoyemonとその家族九人か十人であった。~略~」とある。

【資料4】 p.218 「イシカワゴエモン 石川五右衛門」の項目あり。「その一代の事は詳かではない。」とあり。石川五右衛門が実在の人物であったとされる資料が複数挙げられている。

【資料5】 p.2-8に,石川五右衛門についての資料とそれぞれの主な内容が書かれている。資料名は次の通り。『日本王国記』「公家の山科(やましな)言(とき)経(つね)の日記」『豊臣秀吉譜』『玲瓏随筆』『本阿弥行状記』
以下は浄瑠璃や歌舞伎などで石川五右衛門の釜茹の刑について書かれたもの。
p.10 井原西鶴による『本朝二十不孝(ほんちょうにじゅうふこう)』に大釜で処刑される際に子供を自分の下に敷くという場面が描かれているとある。また,処刑の際にわが子を両腕で差上げたり,膝の下に引き敷いて一瞬にして息絶えさせてやるなどの場面は治太夫節にも出てくるとある。
p.13 『傾城(けいせい)吉岡染』(近松門左衛門執筆)では,釜の蓋をとると,満身焼けただれた五右衛門が尻に敷いた憲法(五右衛門が家来となっていた人物)の子の死体を宙に差上げ,そのまま絶命するという見せ場がある。

そのほかの参考資料
【資料6】 児童書。p.34-46 「天下の大泥棒は本当にいたのか?釜ゆでの刑にされた石川五右衛門」の項目あり。p.46に山科言経による『言経卿記』,スペイン人のアビラ・ヒロンによる『日本王国記』と『日本王国記』の写本の校訂をしたイエズス会のペドロ・モレホンによる付記,が示されている。併せて「しかしその盗賊の実体は,なにひとつ知られていないといっていいだろう。」とあり,素性や犯した罪の内容は詳しく伝わっていないことが書かれている。

参考文献

タイトル 注記
広辞苑 [1] p.1014
お風呂考現学 p.39
大航海時代叢書 [第1期]11 p.182
日本人名大事典 1 p.218
石川五右衛門 ほか p.2-8,10,13
これは真実か!?日本歴史の謎100物語 9 p.34-46

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