細井 勇/著 -- ホソイ,イサム -- ミネルヴァ書房 -- 2009.7 -- 369.44

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所蔵

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所蔵館 所蔵場所 請求記号 資料コード 資料区分 帯出区分 状態
県図一般 書庫A3層 369.4/ホ009 0114503881 一般図書   在架

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県図一般 1 0 1

資料詳細

タイトル 石井十次と岡山孤児院
書名カナ イシイ ジュウジ ト オカヤマ コジイン
副書名 近代日本と慈善事業
シリーズ名 MINERVA社会福祉叢書
著者 細井 勇 /著  
著者カナ ホソイ,イサム
出版地 京都
出版者 ミネルヴァ書房
出版者カナ ミネルヴァ ショボウ
出版年 2009.7
ページ数 10,531,6p
大きさ 22cm
シリーズ名 MINERVA社会福祉叢書
シリーズ名カナ ミネルヴァ シャカイ フクシ ソウショ
叢書巻次 26
一般件名 岡山孤児院
内容紹介 近代日本を代表する慈善事業家・石井十次。英国のキリスト教に影響を受けたその思想と実践は、日本の近代化過程のなかでどのように展開されたのか。日誌・書簡を含む関連史資料をもとに解き明かす。
NDC分類(9版) 369.44
ISBN 4-623-05181-6
ISBN13桁 978-4-623-05181-6
定価 ¥8000

目次

序章 研究の視点と方法
  第一節 問題の所在
  第二節 史資料について
  第三節 石井十次に関する先行研究
  第四節 本研究の視点と方法
  第五節 本研究の構成と意義
第Ⅰ部 近代日本の慈善事業とその背景
第一章 棄児養育米制度と慈善事業
  はじめに
  第一節 近世における棄児ないし産子養育米制度
  第二節 近世的救済の近代的再編過程について
  第三節 棄児養育米給与方成立後の展開と近代的慈善事業
  第四節 日田養育館と瓜生イワの救済実践
  第五節 岡山孤児院事業と棄児養育米給与方
  第六節 公的救済行政の現代的構築過程と近代的慈善事業
  おわりに
第二章 近代日本におけるキリスト教受容の特質と慈善事業
  はじめに
  第一節 近代日本におけるキリスト教とその受容の特質
  第二節 先行研究における視座について
  第三節 石井十次によるキリスト教受容の特質と慈善事業
  おわりに
第Ⅱ部 岡山孤児院の創設と関連事業の諸相
第三章 岡山孤児院の創設と組合系教会形成
  はじめに
  第一節 小崎弘道による高鍋伝道と晩翠学舎
  第二節 岡山教会の設立と石井十次による高鍋伝道
  第三節 岩村加次郎と孤児教育院の創設
  第四節 その後の岩村加次郎
  おわりに
第四章 孤児院学校の成立とその後の展開
  はじめに
  第一節 朝晩学校の開設から孤児教育会の設立へ
  第二節 院内教育の中断とその背景
  第三節 近代教育思想の摂取と院内教育の始動
  第四節 孤児院学校の設立
  第五節 孤児院学校の改革と博愛社との提携
  おわりに
第五章 岡山孤児院と監獄改良事業
  はじめに
  第一節 渡辺亀吉の福音に接するまでの生い立ち
  第二節 ベリーと渡辺亀吉の福音との出会い
  第三節 原胤昭による出獄人保護事業の実験と渡辺亀吉
  第四節 石井十次の亀吉との出会いとその意味
  第五節 渡辺亀吉による松山監獄伝道と石井の監獄伝道会社構想
  第六節 釧路集治監とシベチャ教会
  第七節 渡辺亀吉、岡山孤児院職員となる
  第八節 岡山感化院の開設と渡辺亀吉の永眠
第六章 孤児教育実践と地域振興事業の連続性
  はじめに
  第一節 朝晩学校の設立と高鍋伝道の開始
  第二節 孤児教育院の設立と郷里の地域振興への着手
  第三節 開設当初の孤児教育院の性格と孤児院児童の通学開始
  第四節 孤児教育院のその後の性格の変化
  第五節 孤児院学校の開設と実業教育の確立
  第六節 孤児院学校の改革と博愛社との合同
  第七節 ルソーとの出会いと日向移住隊の派遣
  第八節 労働自活主義の復活
第七章 救済事例に見る岡山孤児院事業の展開
  はじめに
  第一節 石井をして慈善事業を「神の業」と認識させた事例
  第二節 その事業に確信を与えた事例
  第三節 岡山孤児院と出獄人保護事業の連続性を示す事例
  第四節 入院手続きと地方委員の委嘱モデルとなった事例
  第五節 出身者支援を示唆する事例
  おわりに
第八章 岡山孤児院の里預児事業について
  はじめに
  第一節 里預児事業の試行的導入の背景と契機
  第二節 東北凶作地貧孤児救済と里預児事業の本格的制度化
  第三節 里預児事業の特徴について
  第四節 日向移住計画の再興
  第五節 東北三県凶作地貧児の送還
  第六節 非借金主義の再宣言と岡山孤児院の日向への移転
  第七節 労働自活主義の復興
  第八節 里預児事業の展開から見た特徴
第Ⅲ部 石井十次の思想と実践の変容過程
第九章 炭谷小梅と石井十次
  はじめに
  第一節 震災孤児救済から茶臼原移住の試みの時期(一八九二-一八九四年)
  第二節 慈善音楽幻燈隊の巡回活動期(一九〇〇-一九〇四年)
  第三節 岡山孤児院事業の変容とその背景
  第四節 父の看病と石井自身の病気療養の長期帰郷(一九〇五-一九〇九年三月)
  第五節 東京本郷青木家在住中の炭谷小梅宛書簡(一九〇九年五-一〇月)
  第六節 父危篤の知らせを受けての帰郷(一九〇九年一一月-一九一〇年三月、五-七月)
  第七節 娘基和子と父万吉の死去(一九一一年一-八月)
  第八節 明治末年における三度の帰郷(一九一一年九月-一九一二年一〇月)
第一〇章 徳富蘇峰と石井十次
  はじめに
  第一節 石井十次の徳富蘇峰への傾倒の意味と背景
  第二節 徳富蘇峰の岡山孤児院事業への協力の開始
  第三節 石井と蘇峰との直接的出会いとその意味
  第四節 石井と蘇峰の親交の深まり(1)
  第五節 石井と蘇峰の親交の深まり(2)
  第六節 日露戦争後の岡山孤児院と徳富蘇峰
  第七節 石井の晩年と徳富蘇峰
  おわりに
第一一章 石井十次による伝道事業と慈善事業の関係
  はじめに
  第一節 石井十次による伝道事業の再開
  第二節 労働自活主義への揺れと伝道事業の超教派的性格への変化
  第三節 コレラ感染と信仰の復興
  第四節 石井十次の思想変容の背景と契機
  第五節 『ギブソン馬太傳講義』刊行の経緯
  おわりに
終章 石井十次の思想と実践の可能性について
  はじめに
  第一節 本研究の意義と総括
  第二節 石井十次の死と大原孫三郎
  第三節 岡山孤児院解散宣言をめぐって
  第四節 「愛の使徒」としての石井十次像の形成
  おわりに